2021年6月。岸和郎先生[建築家/K.ASSOCIATES/Architects主宰/京都工芸繊維大学名誉教授]の40年間にわたる業績と、その歩みを捉えた展覧会『岸和郎:時間の真実 Waro KISHI_TIME WILL TELL』が美術工芸資料館にて開催されました。
本展は新型コロナウィルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言の発出により、残念ながら会期途中で展示終了となりましたが、岸先生の教え子であり、現在は本学デザイン・建築学系の准教授である木下昌大先生を迎えた対談が行われていました。改めて、この全編を公開致します。

木下先生が学生時代、岸先生のプロジェクトに参加される経緯をきっかけに、岸先生のキャリアを遡りながら、変遷する時代と建築、揺るぎない思考など、話題は広がります。そして、時間を積み重ねた先に見えてくるものとは。

目次

1-1|展覧会を通じて経験する、文化的な出会い
1-2|最後の一歩を踏み出させてくれたパエストゥム

2-1|未来の視座から振り返って建築をつくる
2-2|今の我々が50年後にどう見えるのか

3-1|モダンデザインの最後の建築家になりたい
3-2|最初の動機から「時間」は大きなファクターだった

4-1|岸先生が当時言っていたことがわからなかった
4-2|時代の変化と関係なく、人の心を動かすもの

5-1|デザインをするともう終わり
5-2|教育者たろうというつもりがない教育者


展覧会を通じて経験する、文化的な出会い

木下昌大:今日は僕が個人的に聞きたいことと、みなさんが聞きたいであろうことなどいろいろ織り交ぜながら質問していこうと思います。

岸和郎:よろしくお願いします。

木下:個人的な関係からはじめると話しやすいかなと思います。今回の展覧会が2021年、その前が2016年のTOTOギャラリー間(「京都に還る_home away from home」)、その前が2002年のヴェネチア・ビエンナーレ(第8回 ヴェネチア・ビエンナーレ 国際建築展)、さらにその前が2000年の(「PROJECTed Realities」/ TOTOギャラリー間)と、僕は岸先生の展覧会に4回、関わらせてもらっています。

最初は2000年の「PROJECTed Realities」で。ちょうど僕が岸研に入った3回生の時で、展覧会の準備をしていました。今日も展示作業中に見ていたのですが、当時は青焼きを受け取って、ひたすらそれを解読しながら、本物の建築の図面を見て、こうやって建物って成り立っているんだなと、模型をつくりながら感じて、あれはすごく経験としてよかったなと振り返って思いました。そのあと、岸研で院生になったM2の時にヴェネチア・ビエンナーレを経験しました。M1が準備で、M2で実際にヴェネチアに行かせてもらって、現地で展示をしました。

:僕にとってヴェネチア・ビエンナーレは二度目の時で、一度目は全体展で1990年代にやって、二度目は2002年。日本館を何人かで担当した時ですよね。

木下:そうですね。

:磯崎新さんが全体のまとめ役をやっていた「漢字文化圏」っていう主題で(「漢字文化圏における建築言語の生成」)。韓国代表がスンさん(承考相)、中国がのちにMITの建築学部長になったチャン・ユンホ(張永和)さん。ベトナムはそのころフリーの建築家っていうのがあまりに日本からは見えていなくて、そのベトナムでプロジェクトをやったシーラカンスの小嶋君(小嶋一浩/シーラカンスアンドアソシエイツ)がベトナムを担当しました。私は磯崎さんからお声掛けがあって、日本という漢字文化圏で、君は京都だからということで、日本を担当しなさい、というので、4人でやったということです。

当時僕も京都工芸繊維大学で教えていたのですが、展覧会っていうのは、やっぱりいろいろそこで新しい文化的な出会いがあります。例えば、ヴェネチアで二週間ぐらい暮らして、毎日会場に通って設営して、帰ってご飯食べて、っていう生活を現地でするわけです。そういうのは、学生にとってすごく良いだろうと思って。何人いたっけ?

木下:5、6人ですね。

:ほとんど研究室のフルメンバー近くでヴェネチアに行って設営したっていうのが思い出ですね。

木下:そこでいろいろな建築家に出会って、すごいなと思ったりして、その後僕はヴェネチアでご一緒した小嶋さんのシーラカンスアンドアソシエイツに就職しました。しばらく空いて、2016年にもう一度ギャラリー間での展覧会があり、その時のテーマが「京都に還る」、そして今回は「時間の真実」でした。この時間の真実というテーマについて、どのような意図だったのか聞かせていただけますか。

最後の一歩を踏み出させてくれたパエストゥム

:これはですね、実はタイトルも友人から頂いたっていうのがあって。僕自身80年代から90年代、香港に友人たちがいて、年に2回ぐらい香港に通っていて、その頃の香港は、グラフィックデザインや写真において、アジアの情報センターのような感じで、すごく活気があったんですよね、クリエイティブの人たちも。それで、日本での仕事に疲れると、香港に行って、香港の晩御飯を食べて、その後、みんなお酒を飲まないので、その後また仕事に帰ったり、スイーツを食べに行ったり。そんな風なことで、友人ができたんです。
映画『恋する惑星』(‘94)のビジュアル、ポスターとかビジュアルブックを担当したスタンリー・ウォンっていうデザイナーがいるんですけど、この方が私と同い年ぐらいなんです。
2019年に彼が回顧展みたいなのをやったんですね。それが『time will tell』っていうタイトルで、要するに『時間が教えてくれる』という意味で。いいタイトルだなと思って、「俺さ、来年展覧会やるんだけど、そのタイトル盗んでいい?」って聞いて(笑)。それで、『time will tell』っていう英語のタイトルが先に決まって、同じタイトルでやるよっていうことになって。彼に名前を借りたから、彼にお願いしなくてはということで、今回の展覧会もグラフィックはそのスタンリー・ウォンが担当してるんです。友人が人生を見直すという展覧会をやっている時にいいタイトルだなと思って、それで彼に了解をもらい、同じタイトルにしたというのが『time will tell』だった。

スタンリー・ウォン氏による展覧会ポスター

英語のタイトルが先に決まって、日本語どうしようって考えた時に出てきたのが『時間の真実』というタイトルなんですけど、タイトルとしては真実って重いじゃないですか。だけどその時思ったのは、僕は毎年ローマとフィレンツェ、イタリアを訪ねていた訳ですけど、ギリシャは建築を見にいかなきゃいけないことはわかっていたのですが、とりあえず自分としてはというとこまでは理解したんだけど、さらにギリシャを訪ねるとなると、人生多分時間が足りないなと思って、ギリシャは訪ねなくていいやと思っていたんですよ。
そしたらある歴史の先生が、そんなに毎年イタリアに行っているんだったら、ローマからちょっと下がって、ナポリの少し南にパエストゥムっていうギリシャの遺跡があって、そこはすごくいいですよ。あなたの建築を見ているとパエストゥムに行くことはすごくいいと思うよ、というようなアドバイスをもらったのでパエストゥムを訪ねました。パエストゥムは建築家でいうと(カルル・フリードリッヒ)シンケルも訪ねてて、ゲーテなどいろんな人が訪ねてる場所です。

よくよく考えると、ギリシャとローマが違う種類の文明だというのがわかったのって、実は18世紀19世紀、最近のことなんですね。それまではギリシャとローマは一緒くたになっている。一応僕、建築史の研究室出身なので(笑)。そうしてローマに行ったついでにパエストゥムに行ったんです。それで実は大感動しまして、パエストゥムに。それで、この展覧会の記念書籍にもパエストゥムの章を入れたんですけど、その経験から、やっぱり時間が経って、廃墟になったとしても感動させてくれる力があるのが建築だと改めて思って。それで、『時間の真実』っていうタイトルにしてもいいかな、と。
生意気そうなタイトルだけど、最後の一歩を踏み出させてくれたあのパエストゥムでの感動。自分の建築がパエストゥムの建築みたいにすごいなんて全然思ってないんですよ。なんだけど、幸いなことに自分が関わった建築家っていう職業はもしかしたら、そういうものを生み出す可能性のある仕事。自分の建築がすごいって生意気なことを言っている訳ではないけれども、そういう可能性のある仕事に就いていてよかったなと思うのです。ということでこのタイトルにしたという、長い話でした。

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2021年6月。岸和郎先生[建築家/K.ASSOCIATES/Architects主宰/京都工芸繊維大学名誉教授]の40年間にわたる業績と、その歩みを捉えた展覧会『岸和郎:時間の真実 Waro KISHI_TIME WILL TELL』が美術工芸資料館にて開催されました。
本展は新型コロナウィルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言の発出により、残念ながら会期途中で展示終了となりましたが、岸先生の教え子であり、現在は本学デザイン・建築学系の准教授である木下昌大先生を迎えた対談が行われていました。改めて、この全編を公開致します。

木下先生が学生時代、岸先生のプロジェクトに参加される経緯をきっかけに、岸先生のキャリアを遡りながら、変遷する時代と建築、揺るぎない思考など、話題は広がります。そして、時間を積み重ねた先に見えてくるものとは。

目次

1-1|展覧会を通じて経験する、文化的な出会い
1-2|最後の一歩を踏み出させてくれたパエストゥム

2-1|未来の視座から振り返って建築をつくる
2-2|今の我々が50年後にどう見えるのか

3-1|モダンデザインの最後の建築家になりたい
3-2|最初の動機から「時間」は大きなファクターだった

4-1|岸先生が当時言っていたことがわからなかった
4-2|時代の変化と関係なく、人の心を動かすもの

5-1|デザインをするともう終わり
5-2|教育者たろうというつもりがない教育者


展覧会を通じて経験する、文化的な出会い

木下昌大:今日は僕が個人的に聞きたいことと、みなさんが聞きたいであろうことなどいろいろ織り交ぜながら質問していこうと思います。

岸和郎:よろしくお願いします。

木下:個人的な関係からはじめると話しやすいかなと思います。今回の展覧会が2021年、その前が2016年のTOTOギャラリー間(「京都に還る_home away from home」)、その前が2002年のヴェネチア・ビエンナーレ(第8回 ヴェネチア・ビエンナーレ 国際建築展)、さらにその前が2000年の(「PROJECTed Realities」/ TOTOギャラリー間)と、僕は岸先生の展覧会に4回、関わらせてもらっています。

最初は2000年の「PROJECTed Realities」で。ちょうど僕が岸研に入った3回生の時で、展覧会の準備をしていました。今日も展示作業中に見ていたのですが、当時は青焼きを受け取って、ひたすらそれを解読しながら、本物の建築の図面を見て、こうやって建物って成り立っているんだなと、模型をつくりながら感じて、あれはすごく経験としてよかったなと振り返って思いました。そのあと、岸研で院生になったM2の時にヴェネチア・ビエンナーレを経験しました。M1が準備で、M2で実際にヴェネチアに行かせてもらって、現地で展示をしました。

:僕にとってヴェネチア・ビエンナーレは二度目の時で、一度目は全体展で1990年代にやって、二度目は2002年。日本館を何人かで担当した時ですよね。

木下:そうですね。

:磯崎新さんが全体のまとめ役をやっていた「漢字文化圏」っていう主題で(「漢字文化圏における建築言語の生成」)。韓国代表がスンさん(承考相)、中国がのちにMITの建築学部長になったチャン・ユンホ(張永和)さん。ベトナムはそのころフリーの建築家っていうのがあまりに日本からは見えていなくて、そのベトナムでプロジェクトをやったシーラカンスの小嶋君(小嶋一浩/シーラカンスアンドアソシエイツ)がベトナムを担当しました。私は磯崎さんからお声掛けがあって、日本という漢字文化圏で、君は京都だからということで、日本を担当しなさい、というので、4人でやったということです。

当時僕も京都工芸繊維大学で教えていたのですが、展覧会っていうのは、やっぱりいろいろそこで新しい文化的な出会いがあります。例えば、ヴェネチアで二週間ぐらい暮らして、毎日会場に通って設営して、帰ってご飯食べて、っていう生活を現地でするわけです。そういうのは、学生にとってすごく良いだろうと思って。何人いたっけ?

木下:5、6人ですね。

:ほとんど研究室のフルメンバー近くでヴェネチアに行って設営したっていうのが思い出ですね。

木下:そこでいろいろな建築家に出会って、すごいなと思ったりして、その後僕はヴェネチアでご一緒した小嶋さんのシーラカンスアンドアソシエイツに就職しました。しばらく空いて、2016年にもう一度ギャラリー間での展覧会があり、その時のテーマが「京都に還る」、そして今回は「時間の真実」でした。この時間の真実というテーマについて、どのような意図だったのか聞かせていただけますか。

最後の一歩を踏み出させてくれたパエストゥム

:これはですね、実はタイトルも友人から頂いたっていうのがあって。僕自身80年代から90年代、香港に友人たちがいて、年に2回ぐらい香港に通っていて、その頃の香港は、グラフィックデザインや写真において、アジアの情報センターのような感じで、すごく活気があったんですよね、クリエイティブの人たちも。それで、日本での仕事に疲れると、香港に行って、香港の晩御飯を食べて、その後、みんなお酒を飲まないので、その後また仕事に帰ったり、スイーツを食べに行ったり。そんな風なことで、友人ができたんです。
映画『恋する惑星』(‘94)のビジュアル、ポスターとかビジュアルブックを担当したスタンリー・ウォンっていうデザイナーがいるんですけど、この方が私と同い年ぐらいなんです。
2019年に彼が回顧展みたいなのをやったんですね。それが『time will tell』っていうタイトルで、要するに『時間が教えてくれる』という意味で。いいタイトルだなと思って、「俺さ、来年展覧会やるんだけど、そのタイトル盗んでいい?」って聞いて(笑)。それで、『time will tell』っていう英語のタイトルが先に決まって、同じタイトルでやるよっていうことになって。彼に名前を借りたから、彼にお願いしなくてはということで、今回の展覧会もグラフィックはそのスタンリー・ウォンが担当してるんです。友人が人生を見直すという展覧会をやっている時にいいタイトルだなと思って、それで彼に了解をもらい、同じタイトルにしたというのが『time will tell』だった。

スタンリー・ウォン氏による展覧会ポスター

英語のタイトルが先に決まって、日本語どうしようって考えた時に出てきたのが『時間の真実』というタイトルなんですけど、タイトルとしては真実って重いじゃないですか。だけどその時思ったのは、僕は毎年ローマとフィレンツェ、イタリアを訪ねていた訳ですけど、ギリシャは建築を見にいかなきゃいけないことはわかっていたのですが、とりあえず自分としてはというとこまでは理解したんだけど、さらにギリシャを訪ねるとなると、人生多分時間が足りないなと思って、ギリシャは訪ねなくていいやと思っていたんですよ。
そしたらある歴史の先生が、そんなに毎年イタリアに行っているんだったら、ローマからちょっと下がって、ナポリの少し南にパエストゥムっていうギリシャの遺跡があって、そこはすごくいいですよ。あなたの建築を見ているとパエストゥムに行くことはすごくいいと思うよ、というようなアドバイスをもらったのでパエストゥムを訪ねました。パエストゥムは建築家でいうと(カルル・フリードリッヒ)シンケルも訪ねてて、ゲーテなどいろんな人が訪ねてる場所です。

よくよく考えると、ギリシャとローマが違う種類の文明だというのがわかったのって、実は18世紀19世紀、最近のことなんですね。それまではギリシャとローマは一緒くたになっている。一応僕、建築史の研究室出身なので(笑)。そうしてローマに行ったついでにパエストゥムに行ったんです。それで実は大感動しまして、パエストゥムに。それで、この展覧会の記念書籍にもパエストゥムの章を入れたんですけど、その経験から、やっぱり時間が経って、廃墟になったとしても感動させてくれる力があるのが建築だと改めて思って。それで、『時間の真実』っていうタイトルにしてもいいかな、と。
生意気そうなタイトルだけど、最後の一歩を踏み出させてくれたあのパエストゥムでの感動。自分の建築がパエストゥムの建築みたいにすごいなんて全然思ってないんですよ。なんだけど、幸いなことに自分が関わった建築家っていう職業はもしかしたら、そういうものを生み出す可能性のある仕事。自分の建築がすごいって生意気なことを言っている訳ではないけれども、そういう可能性のある仕事に就いていてよかったなと思うのです。ということでこのタイトルにしたという、長い話でした。

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