木下「で、じゃあ自分はどうすするんだっていう話は、今まさしく40代前半で悩んでいるところなんですけど」
岸「5世紀過ぎても色の抜けないやつもいるし、消えて行っちゃったものもあるっていうだけです」


岸先生が当時言っていたことがわからなかった

木下:やっぱり、当時は僕らの興味はレム・コールハースや、その弟子のMVRDVがいるオランダの現代建築家が全盛で。日本国内だと、それに近い立ち位置でシーラカンスアンドアソシエイツが活躍していて、僕自身もご多分に漏れずそういった建築家に興味がありました。そういう意味では岸先生が当時言っていたことがわからなかったです。

:今は?

木下:今は自分で仕事をはじめて、いろんな過去も未来も含めての時間軸の中で、っていう話がなんとなく、ようやく見られるようにはなりましたね。当時はプログラム論にひかれていて、プログラムから形は決まっていっているっていうのがありました。それと同時に、岸和郎という建築家の作品の強度が強すぎて、そこに近づき過ぎるとやっぱり自分は同じようには続けていけないと直感的に思って。程よく距離をおかないといけないと思った。それで、シーラカンスアンドアソシエイツの小嶋さんのところに働きたいと言いに行って、小嶋さんにその当時、「岸さんの研究室から僕のところでいいの?」って言われて、当時意味がわからなかったのですが、僕は、とにかく一回距離を置きたいと、危険だと(笑)。

:プログラム論に見向きもしないで面白くないっていっているわけではなくて。例えば僕が大学院生の頃に、レム・コールハースが出てくるわけですよ。イギリスの「Architecture Design」っていう雑誌がその頃あって、1970年代に実作の一つもないレム・コールハースの特集号をやった。当時外国の雑誌なんて入手できないから図書館のをコピーした。ゼロックスコピーで一枚刷るのにどれぐらいかかったんだろ、多分50円とかかかったと思う。

当時、その雑誌は実は京都工芸繊維大学の図書館にあったのだけど僕は学生ではなくて、京都大学の学生だったので、某先輩がこの大学にいたので、借りてきてもらった。まあそんなこともあって。僕らの世代はコールハースに彼がデビューした1970年代から興味津津ですよ、そんな時代でコピーを一生懸命とって見てって、新作がでたら一生懸命見て。最初の建築ができたのはロッテルッダムで、これはすぐに見に行きましたね。

木下君に話をしていた、俺プログラム論には興味ないからっていうのは、あの人が「ビッグネス」について書いた本「S, M, L, XL」(‘95)を出すんですけど、それまで一生懸命に読んでいたわけですからまた読むわけですよ。そうするとですね、たとえばニューヨークの都市構造の話とか、それからジャカルタ、アジアの都市の話をするんですが、突然気付いた。この人ってユーロセントリズムじゃないかって。あの人、あんなこと言ってるけどその底にはヨーロッパという、クラス、身分制度のある社会があって結局ヨーロッパ中心主義。ユーロセントリズムじゃんって思って、そこから急速に興味がなくなってしまった。それが「S, M, L, XL」でした。それより前は本当に良い読者で、某出版社に「Delirious New York(錯乱のニューヨーク)」(オリジナルは1978年刊行)を翻訳しましょうって刊行された次の年に持ち込んで、こんな本は売れないって言われた。「錯乱のニューヨーク」が翻訳出版されたのはそれから十数年たった後で90年代になっていたんですけど(’99)、なので僕は初期にはすごくいい読者でした。そんなことがあって、僕はモダニズムの夢が好きなんだなと、みんな平等という夢が好きなんだということに気づくわけですよ、コールハースを通して。でも、木下君がいた時代にはそんなのはもう飛ばして、プログラム論なんかきらいだからと一言でいうから(笑)。

木下:最近プログラム論的な新しさの下でつくられた建築で10年、15年経っているものを見に行ったときに、出来上がった当初は新しいと思っていたんですけど、次見に行ったときに、時代、社会の変化の方が、資本主義のスピードが全然早すぎて、なんかそれ普通にあるよねってなってしまって、プログラムの面白さが抜け落ちた瞬間に全然魅力がなくなってしまったんですよね。さっき出てきたコールハースの初期の作品とかは2年ほど前に見たのですが、まだやっぱり面白くて、僕らが見てきたのはMVRDVだったりその後の人なので、おそらく根源のところはコールハースとは違って、プログラム論という一つの形をなした瞬間に形骸化するんだなと思いました。で、じゃあ自分はどうするんだっていう話は、今まさしく40代前半で悩んでいるところなんですけど。

時代の変化と関係なく、人の心を動かすもの

:今の木下くんの話はほんとそうだなと思うんだけど、やっぱりね、当時は思わなかったけど、プログラム論て時代に添い寝するコンセプトなんですよ。で、時代に添い寝してしまうと、20年経ったら、50年経ったら、そのことは魅力ではなくなるわけですよね。じゃあ、何が建築の根源的な魅力なのかって考え出すと、私みたいに建築原理主義というか、最右翼としてはやっぱりローマだよねとかそうなってしまう。それはまあ、ある種の逃げではあるんですよ。だけど、やっぱり建築の根源的な魅力っていうのはやっぱりパエストゥムもそうだし、パンテオンもそうだし、やっぱりこう時代の変化と関係なく、人の心を動かすものがあるんですよね。だってさ、廃墟なんて廃墟だもん。機能も無けりゃ屋根さえないもん。でもやっぱり、ああ建築空間ってすごいなって思わせるものがあって。パンテオンもそうだよね、最初はキリスト教の教会じゃないもん。それがキリスト教の教会になって、やっぱり機能とかそんなものは関係ないよねって思うんですね。

僕を建築家にしてくれた孤児養育院というフィレンツェの建物は15世紀にメディチ家が孤児をこの建物の前に捨ててくれれば、育ててあげますっていう、市民社会が立ち上がっている時代っぽいでしょ。社会全体で孤児の面倒を見ましょうっていう建物だったんですよ。だから、プログラム的にいうと時代に添い寝しているわけですけれども、今、何になっているかって、美術館になっていて、まあ決して悪いデザインではなく美術館として生き残っているし、建築ってそういうもんじゃないかなと思うんです。
でも孤児養育院みたいに時代に寄り添った機能でスタートしていたとしても、5世紀過ぎても色の抜けないやつもいるし、消えて行っちゃったものもあるっていうだけです。それは現代の建築も同じで、今どんなに輝いて見えても、50年経ったらわからないものもあるし……と思いますね。だから、僕も矛盾しているんですよ。スタートはその時すごく流行っていて、50年経ったら消えていった人に興味があるんだけど、でもやっているうちに切ないなって思うようになったなという。

木下:逆説的ですね。

:そう逆説的。だから40過ぎで「日本橋の家」が賞をいただいたとき、もうあなたの夢は実現しましたねって言われたわけですよ。そっからやっぱりね、もう右翼に帰ってきた。

「岸和郎:時間の真実 Waro KISHI_TIME WILL TELL」展より
「日本橋の家」と岸和郎先生

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木下「で、じゃあ自分はどうすするんだっていう話は、今まさしく40代前半で悩んでいるところなんですけど」
岸「5世紀過ぎても色の抜けないやつもいるし、消えて行っちゃったものもあるっていうだけです」


岸先生が当時言っていたことがわからなかった

木下:やっぱり、当時は僕らの興味はレム・コールハースや、その弟子のMVRDVがいるオランダの現代建築家が全盛で。日本国内だと、それに近い立ち位置でシーラカンスアンドアソシエイツが活躍していて、僕自身もご多分に漏れずそういった建築家に興味がありました。そういう意味では岸先生が当時言っていたことがわからなかったです。

:今は?

木下:今は自分で仕事をはじめて、いろんな過去も未来も含めての時間軸の中で、っていう話がなんとなく、ようやく見られるようにはなりましたね。当時はプログラム論にひかれていて、プログラムから形は決まっていっているっていうのがありました。それと同時に、岸和郎という建築家の作品の強度が強すぎて、そこに近づき過ぎるとやっぱり自分は同じようには続けていけないと直感的に思って。程よく距離をおかないといけないと思った。それで、シーラカンスアンドアソシエイツの小嶋さんのところに働きたいと言いに行って、小嶋さんにその当時、「岸さんの研究室から僕のところでいいの?」って言われて、当時意味がわからなかったのですが、僕は、とにかく一回距離を置きたいと、危険だと(笑)。

:プログラム論に見向きもしないで面白くないっていっているわけではなくて。例えば僕が大学院生の頃に、レム・コールハースが出てくるわけですよ。イギリスの「Architecture Design」っていう雑誌がその頃あって、1970年代に実作の一つもないレム・コールハースの特集号をやった。当時外国の雑誌なんて入手できないから図書館のをコピーした。ゼロックスコピーで一枚刷るのにどれぐらいかかったんだろ、多分50円とかかかったと思う。

当時、その雑誌は実は京都工芸繊維大学の図書館にあったのだけど僕は学生ではなくて、京都大学の学生だったので、某先輩がこの大学にいたので、借りてきてもらった。まあそんなこともあって。僕らの世代はコールハースに彼がデビューした1970年代から興味津津ですよ、そんな時代でコピーを一生懸命とって見てって、新作がでたら一生懸命見て。最初の建築ができたのはロッテルッダムで、これはすぐに見に行きましたね。

木下君に話をしていた、俺プログラム論には興味ないからっていうのは、あの人が「ビッグネス」について書いた本「S, M, L, XL」(‘95)を出すんですけど、それまで一生懸命に読んでいたわけですからまた読むわけですよ。そうするとですね、たとえばニューヨークの都市構造の話とか、それからジャカルタ、アジアの都市の話をするんですが、突然気付いた。この人ってユーロセントリズムじゃないかって。あの人、あんなこと言ってるけどその底にはヨーロッパという、クラス、身分制度のある社会があって結局ヨーロッパ中心主義。ユーロセントリズムじゃんって思って、そこから急速に興味がなくなってしまった。それが「S, M, L, XL」でした。それより前は本当に良い読者で、某出版社に「Delirious New York(錯乱のニューヨーク)」(オリジナルは1978年刊行)を翻訳しましょうって刊行された次の年に持ち込んで、こんな本は売れないって言われた。「錯乱のニューヨーク」が翻訳出版されたのはそれから十数年たった後で90年代になっていたんですけど(’99)、なので僕は初期にはすごくいい読者でした。そんなことがあって、僕はモダニズムの夢が好きなんだなと、みんな平等という夢が好きなんだということに気づくわけですよ、コールハースを通して。でも、木下君がいた時代にはそんなのはもう飛ばして、プログラム論なんかきらいだからと一言でいうから(笑)。

木下:最近プログラム論的な新しさの下でつくられた建築で10年、15年経っているものを見に行ったときに、出来上がった当初は新しいと思っていたんですけど、次見に行ったときに、時代、社会の変化の方が、資本主義のスピードが全然早すぎて、なんかそれ普通にあるよねってなってしまって、プログラムの面白さが抜け落ちた瞬間に全然魅力がなくなってしまったんですよね。さっき出てきたコールハースの初期の作品とかは2年ほど前に見たのですが、まだやっぱり面白くて、僕らが見てきたのはMVRDVだったりその後の人なので、おそらく根源のところはコールハースとは違って、プログラム論という一つの形をなした瞬間に形骸化するんだなと思いました。で、じゃあ自分はどうするんだっていう話は、今まさしく40代前半で悩んでいるところなんですけど。

時代の変化と関係なく、人の心を動かすもの

:今の木下くんの話はほんとそうだなと思うんだけど、やっぱりね、当時は思わなかったけど、プログラム論て時代に添い寝するコンセプトなんですよ。で、時代に添い寝してしまうと、20年経ったら、50年経ったら、そのことは魅力ではなくなるわけですよね。じゃあ、何が建築の根源的な魅力なのかって考え出すと、私みたいに建築原理主義というか、最右翼としてはやっぱりローマだよねとかそうなってしまう。それはまあ、ある種の逃げではあるんですよ。だけど、やっぱり建築の根源的な魅力っていうのはやっぱりパエストゥムもそうだし、パンテオンもそうだし、やっぱりこう時代の変化と関係なく、人の心を動かすものがあるんですよね。だってさ、廃墟なんて廃墟だもん。機能も無けりゃ屋根さえないもん。でもやっぱり、ああ建築空間ってすごいなって思わせるものがあって。パンテオンもそうだよね、最初はキリスト教の教会じゃないもん。それがキリスト教の教会になって、やっぱり機能とかそんなものは関係ないよねって思うんですね。

僕を建築家にしてくれた孤児養育院というフィレンツェの建物は15世紀にメディチ家が孤児をこの建物の前に捨ててくれれば、育ててあげますっていう、市民社会が立ち上がっている時代っぽいでしょ。社会全体で孤児の面倒を見ましょうっていう建物だったんですよ。だから、プログラム的にいうと時代に添い寝しているわけですけれども、今、何になっているかって、美術館になっていて、まあ決して悪いデザインではなく美術館として生き残っているし、建築ってそういうもんじゃないかなと思うんです。
でも孤児養育院みたいに時代に寄り添った機能でスタートしていたとしても、5世紀過ぎても色の抜けないやつもいるし、消えて行っちゃったものもあるっていうだけです。それは現代の建築も同じで、今どんなに輝いて見えても、50年経ったらわからないものもあるし……と思いますね。だから、僕も矛盾しているんですよ。スタートはその時すごく流行っていて、50年経ったら消えていった人に興味があるんだけど、でもやっているうちに切ないなって思うようになったなという。

木下:逆説的ですね。

:そう逆説的。だから40過ぎで「日本橋の家」が賞をいただいたとき、もうあなたの夢は実現しましたねって言われたわけですよ。そっからやっぱりね、もう右翼に帰ってきた。

「岸和郎:時間の真実 Waro KISHI_TIME WILL TELL」展より
「日本橋の家」と岸和郎先生

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