ロゴマークについて

KYOTO Design Labのロゴマークである4つの × は、京都の町に張り巡らされ、見え隠れする格子の総体を表しています。

京都の町は、通りを挟んだ両側がひとつの町として成立する「両側町」と呼ばれる形式になっています。この「両側町」の境界は、碁盤の目状に走る街区の対角線となるため、45°に振れた × の格子として浮かび上がります。実際には見えないこの斜めの格子は、京都特有の多様性を生み出し、イノベーションを誘発させる仕組みとして機能してきました。

KYOTO Design Labは、この京都の格子の総体を × というシンボルで表し、世界中から集まる一流の研究者、デザイナー、建築家とのコラボレーションのためのプラットフォームとして活動してまいります。

(商標登録 登録第5787277号、登録第5787278号)

京都の町境から浮かび上がる × のシンボル


Brand Statement

Visible & Invisible Grids
──見える格子・見えない格子

格子都市・京都
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京都には、多種多様な建物やもの、あるいは人が、三方を山に囲まれたそう広くない領域にひしめいている。
 日本における歴史的都市を見渡してみると、京都という都市は明らかに特異である。日本の歴史的都市の多くは、町人地や武家地といったゾーニングとその中の地割りの均質性によって秩序が保たれている。対して京都は、平安京という計画的な都市として生まれながらも、長い歴史の中で計画性が崩されてはまた新たな都市改造が施されるという過程を踏んできた。ゾーニングとその無化が繰り返されてきたのが京都であり、それゆえに多様なものが入り混じるようにして存在している。だからといって無秩序になることはなく、常に一定の秩序が保たれてきた。多様性を有しながらも、個が個として存在することができる都市が、京都である。
 京都のこうした性格を担保するのが、「格子」という秩序である。平安京の条坊に由来する格子状の都市構造は言うまでもない。都市構造だけでなく、建築物、生活に関わる品々や美術工芸品、あるいは都市郊外の景観と、そこかしこに格子が見え隠れする。格子によって支えられる京都は、いわば「格子都市」である。
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見える格子
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京都の都市構造は、794年に成立した平安京の条坊に起源を持つ。東の鴨川と西の桂川に挟まれた東西4.5キロメートル、南北5.2キロメートルの長方形の京域に整然とした条坊が格子状に敷かれ、街区は一辺約120メートル四方の正方形のブロックをなす。この都市構造は、古代中国の計画都市「都城」を輸入したもので、当時においてはグローバルな都市構造であった。
 格子は建築物にも現れる。住宅建築の基本形式である書院造は「間(けん)」及び「坪」を単位として計画されており、それは京町家でも同様である。畳は、この基本単位を形に置き換えたものとみれば、これも一種の格子といえる。建具にも格子が認められる。町家の表構えには格子がはめられ、また障子の桟や襖の市松模様にも格子が現れる。
 京都南郊の宇治では、中世から宇治茶が生産されてきた。抹茶の原料となる碾茶(てんちゃ)は、九尺単位の格子状に組まれた棚を葦簀(よしず)や莚(むしろ)で覆う覆下(おいした)茶園で育てられる。立体格子の景観である。
 障壁画にも格子がある。桃山時代の金碧障壁画でも、琳派の屏風絵でも、金箔を押した背景は格子状のパターンを刻む。あらゆる場所ともの、あらゆるスケールにおいて、格子は現れる。
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見えない格子
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京都の格子には、見えるものだけではなく、見えない格子もある。
 京都の町は、通りを挟んだ両側が一つの町をなす両側町の形式となっている。格子状をなす街区の四面がそれぞれ両側町を形成するため、平安京以来の街区が残る中心部では、街区内部の町境が街区の対角線上を走っている。これを少し広域でとらえると、条坊起源の格子に対して45度に振れた格子が見えない線として浮かび上がる。
 京都の町衆の生活を象徴するものに、番組小学校の存在がある。明治二年に二七町程度を一町組(番組)と設定し、番組ごとに自治会所機能を併せ持つ小学校が設けられた。今日では統廃合により小学校数が大きく減ってはいるものの、校舎は番組の象徴としての意味を保ち続けている。これらの配置も、いわば見えない格子をなしている。
 京都の生活文化や工芸においても、格子は見え隠れする。両側町自体も、京都に張り巡らされた見えない格子といえるだろう。各町が一つの自治体としての共同体であり、その姿は祇園祭に代表される祭礼に表出される。西陣の織物も、いわば縦糸と横糸を編んだ格子といえる。
 格子は、有形無形、さまざまな様相を呈しながら、京都という都市の根底に潜んでいる。
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見える格子から見えない格子へ
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さまざまな様相で存在する格子であるが、それぞれはまったく無関係に独立しているわけではない。
 例えば、平安京起源の格子状街区と、中世に形成された両側町による45度に振れた格子は、歴史的に連続している。平安京の土地利用は、元来は街区内で完結するものであった。平安時代後期以降、貴族社会の衰退とともにその土地利用が変化を遂げる中で、通りに面した新しい住居形態である町家の発生を促した。通りに面して町家が建ち並ぶと、通りの両側で一つの町を形成する両側町が成立していく。この町家が街区内を埋め尽くすことで生まれたのが、45度に振れた見えない格子である。つまり、平安京がローカル化していく過程で、この見えない格子は生まれてきた。
 平安京に見られる格子状の都市計画は、中国だけでなく世界各地に見られるもので、一般には強固な構造物をともなっている。しかし平安京のそれは、地図上には刻まれるものの、強固な構造物をともなわない弱い格子というべきものであった。弱い格子であるがゆえに、本来グローバルなシステムであるはずの都城の中に、ローカル性を内包することができたのだろう。
 縦と横が絡み合ってできる格子であるが、格子相互も、網の目のように絡み合っている。
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「和える」都市
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相互に絡み合う京都の格子は、京都という都市が持つ個性を担保する装置として機能してきた。
 日本における都城は、694年に遷都された藤原京以来、比較的短期間での移動を繰り返してきたが、平安京に至って安住の地を得た。それゆえに、街区の形は同様ながら、ここに至って初めて都市住宅という建築類型が誕生した。貴族の邸宅である「寝殿造」の誕生である。
 平安時代後期からの貴族社会の衰退は、新たな都市住宅である「町家」を生んだ。そしてその町家が、今度は町境の見えない格子を派生させていった。都市構造における格子は、都市住宅の新しい形を生む母体となるものであった。
 両側町では、間口が均等に割られ、通りに面して均質な町並み景観が形成された。しかし、街区を対角線に通る町境ゆえに、敷地の奥行きに関しては、街区の端近くは浅く、中央近くでは深くなり、多様性が生じてくる。街区の中央部には武家屋敷や寺院が置かれることもあった。必然的に、多様な階層の人々が一つの町に集まることとなる。
 都市空間の構成要素に限ってみても、京都では多様なものが生まれ、またそこに抱え込まれている。それらはお互いの距離感を測りながら、そこに居ることができている。これは歴史的都市としての発展のクライマックスを迎えた状態ではなく、常に緩やかな変化を受け入れつつ、動的な平衡が保たれている状態といえる。格子は、この状態を担保するものとして機能してきたのだろう。
 多様な要素を完全に混ぜ合わせたり、煮込んだりするのではない。いわば「和える」、すなわち個々の要素の個性が生かされながら、バラバラになるのではなく、一つの総体をなしているのである。京都は格子という器の中で多様性を受け入れる、「和える」都市である。
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KYOTO Designの源としての×
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京都のそこかしこに見え隠れする格子。これらが京都の伝統の継承を担保するものであることは言うまでもない。加えて、それが多様性を保ち続ける機能を有していることに注意しなければならない。これこそが、この都市に新しいものを呼び寄せ、イノベーションを誘発する仕組みであろう。我々は、京都という都市が持つこの「和える」力を借りて、デザインによるイノベーションを起こしていこうと思う。それを“KYOTO Design”と呼ぼう。
 KYOTO Designの背景をなす格子は、歴史の中で形成されたローカル性を持ちながらも、本質的にグローバルなものである。そして、見える格子と見えない格子。これらが一体となって、京都という都市を支えている。
 我々は、この京都の格子の総体を × というシンボルで表してみようと思う。それは、KYOTO Designのインキュベーター(孵卵器)というべき、吸引力と秩序、爆発力を有した、拠って立つべき根源なのである。

京都工芸繊維大学 KYOTO Design Lab

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